굴어당

굴어당의 한시.논어.맹자

http:··blog.daum.net·k2gim·

『杜甫詩注』全二十冊中一次十冊,吉川幸次郎,岩波書店

굴어당 2015. 2. 1. 09:45

 

 

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/092761+/top.html

 

『杜甫詩注』全二十冊

 


■ 編集にあたって

 杜甫は後世の人々から,「詩聖」すなわち古今最高の詩人として敬愛を集めた.それは杜甫の詩が有史以来の詩の成果を集成すると同時に,宋以後に確立する生活に密着した精緻な詩風を開拓したからである.そうした杜詩に対して,宋代このかた膨大な注釈が著わされている.しかし,本書の著者吉川幸次郎は,それらのいずれにも満足せず,自らの思索による新しい見解と,調査による新しい知識を加えて,この偉大な詩人の業績をより正確な形で現代の読者に伝えることを企図した.著者は杜甫の現存する詩一千四百首余りについて,単なる語の説明にとどまらず,杜甫の意識にあったもの,さらには意識の下にあったものを掘り起こし,可能なかぎり平易で明晰な日本語で解き明かすことに意を注いでいる.
 『杜甫詩注』全二十冊は一九七七年に筑摩書房から刊行が始まり,一九八三年までに五冊が出たが,その中途で著者の逝去に遭ったため,続刊は断念された.だが,著者の筐底には相当量の草稿が遺されており,このまま埋もれさせるには忍びないものがある.このたび,できるだけ遺稿を生かしながら,編者の私がいささかの整理と補筆を行なう形で,『杜甫詩注』の再スタートが実現した.今年二〇一二年は,あたかも杜甫生誕一千三百年に当たる.いま編者として,著者がかつて意図したように,この書が多くの読者に迎えられることを願っている.

 こうぜんひろし 一九三六年,福岡県生まれ.京都大学名誉教授.中国文学専攻.著書『杜甫――憂愁の詩人を超えて』『中国名文選』『漢語日暦』『仏教漢語五〇話』など多数.


中国・日本の文学的伝統に重きをなした表現形式の見事な復活として,『杜甫詩注』は戦後日本文学の画期的な作品である ──加藤周一(朝日新聞夕刊「文芸時評」一九七七年九月二七日)

■ 全巻構成



第三冊 乱離の歌  (第6回/12月17日発売)

第四冊 行在所の歌 帰省の歌

第五冊 侍従職の歌




第九冊 成都の歌 上

第十冊 成都の歌 下

* 第II期の刊行予定については,第I期完結時にお知らせいたします.

組見本(第六冊より)
■ 特色

◆ 中国文学史上最高の詩人,杜甫(七一二―七七〇)の全詩を収録.第I期一〇冊は全二〇冊の前半,成都滞在時代までを扱う.

◆ 杜甫は,唐帝国の激動の時代を生きた.各詩を年代ごとに配列して巻編成を行い,その生涯をたどりながら鑑賞する.

◆ 杜甫の作詩は,〈詩史〉(一身で中国詩の歴史を体現する)と称されるほど,多彩で奥行きが深い.詩の原文・よみ下し・訳に加え,すべての句に精細な注釈を施すことで,この詩人の営み全体に迫る.

◆ 中国学の泰斗,吉川幸次郎が生涯をかけて取り組んだ仕事が,新たな編集のもとに甦る.



 

■ すべてはこの書に
吉川幸次郎


 

 この書物は,中国八世紀の詩人,唐の杜甫,七一二―七七〇,その詩の現存するもの約一千四百首の,注釈である.注釈とは,著者の意識にあったものを,あるいは意識の下にあったものにもわたって,著者の言語そのものに即しつつ,可能なかぎりほりおこし,可能なかぎりわれわれの論理におきかえて説述することであると,私は心得ている.詩は感性の言語であり,それだけに一そう論理によるときほぐし,あるいは検証を,待っていると考えるのを,杜詩の一一にむかって施す.千二百年前の言語,大きく時代を先取するのが,事がらを可能にすると思われる.
 執筆の動機は,何よりもその人への愛である.亡友三好達治は,私の旧著「杜甫ノート」の解説で,「杜詩に特異な気象の感受と嚼みわけとその受け渡しの手ごころ」において,私は「何ものかの契合」をもっているという.その通りではないにしても,何程かはそうであろう.少なくともこれほど私をひきつけ,これほど私にわかりやすい詩人は,古今東西を通じ,他にない.「妃匹(ひひつ)の愛」,つまり両性の間の愛情は,「君も之れを臣より得(うば)う能わず,父も之れを子より得(うば)う能わず」と,司馬遷が「外戚世家(せいか)」でいうような関係が,この詩人と私との間にはある.尊敬という言葉は,かえってよそよそしい.
 愛情の表白ないしは告白には,他の方法もあろう.注釈の方法を取るのは,私のなれ親しんで来た中国の学術が,それを重要な伝統とするからである.なかんずく清の段玉裁の「古文尚書撰異」,こちらでは本居宣長の「古事記伝」などに,追いすがりたい.それら先輩が何よりも重視するのは,言語の様相,宣長の表現では「言(コトバ)のさま」である.それは辞典的な水っぽい値に,一一の語をおきかえ,せっかくの「言(コトバ)のさま」を殺すことではない.語がつらなりあいからみあいつつ流れてゆく姿の熟視である.語はもと煉瓦である.詩人がとりあげて詩の中におくとき,黄金として生き返るとは,今世紀西洋の誰かの説であるのが,私の頭を去らない.いいかえれば一行一行を,一回かぎりの心理による一回かぎりの言語として把握することである.事がらにことにあずかるのは,音声の姿である.それは音楽の楽音のつらなりと同じではない.意味によって着色された音声の流れである.単綴語であるゆえに,抑揚の高低はげしく,また単綴語であるゆえに,一一の音声すなわち一一の語なのが,複雑な色あいを蔵し得る中国語の詩にあっては,ことさらにそうであって,その代表となるのも,杜詩である.「文章は千古の事,得失は寸心知る」と,杜甫自身いう.私は千古の後において,その寸心にあずかりたい.かえりみれば私は,いろいろより道をし,道草をくって来たようである.それには弁解がある.「古事記」ばかり読む人の「古事記」解釈はせまくるしく,「万葉」の理解のためには,後世の歌をも読め,そう宣長がいうのに従うのである.すべてがこの書への有用な過程であったことを願う.
(第一冊「総序」より.一部省略)


1963年,ニューヨークにて
吉川幸次郎(よしかわこうじろう)
日本を代表する中国文学者.一九〇四年,神戸市生まれ.一九四七年,京都大学文学部教授に就任(一九六七年まで).研究対象は,漢詩をはじめ,『尚書正義』,元曲,荻生徂徠・本居宣長ら江戸の思想家に至るまで多岐にわたり,また,『漢の武帝』『新唐詩選』『中国詩人選集』『論語』『水滸伝』などの著書・シリーズ・訳注で多くの読者を惹きつけた.その仕事は『吉川幸次郎全集』(決定版,全二七巻,筑摩書房)としてまとめられている.唐の詩人,杜甫は吉川のライフワークであり,その全詩の注釈を『杜甫詩注』(全二〇冊,筑摩書房)として企図,一九七七年より刊行を開始したが,一九八〇年に逝去.同書は第五冊(一九八三年)までで途絶していた.


 


■ 凡例

一,本書は,唐の詩人杜甫(712-770)の現存する全詩の注釈である.原著者吉川幸次郎(1904-1980)が計画した全20冊のうち,第I期では前半10冊,詩人の成都滞在記(761年頃)までの詩を収録する.

一,テクストは,「宋本杜工部集」(上海商務印書館,1957年)を底本とする.詳細は本巻所収「総序」を参照.

一,第一冊から第五冊については,旧版(筑摩書房,1977-1983年)にもとづきつつ,以下の改訂を行うこととした.
(一)旧版第二・三・五冊の巻末に収められた,原著者自身による「補正」の反映.これらのうち,誤植・誤記については当該個所を直接訂正するが,内容上のの補正については当該個所の直後に改行のうえ,〈補正〉との標記のもとに掲げる.なお必要な場合には,補正の当該個所を示すため行間に * 印を付した.
(二)編者による注記(編注).〈 〉で括って当該個所の直後に掲げる.各詩の注において,関連する文献や詩題などを,必要な範囲で補う.また,詩の訓読・訳・注を欠いている場合も,〈 〉で括って補う.
(三)各詩の注末尾の「双声畳韻」の改訂.これについては,〈 〉で括らずに直接訂正を行う.
(四)漢字のるびについては,それぞれの語の初出個所に加えるなど,若干の整理・追加を行う.
(五)その他,誤植・誤記の訂正.

一,第六冊から第一〇冊については,原著者の遺稿にもとづき,今回初めて刊行するものである.編集方針は,前項(二)─(五)と同じである.

一,漢字の字体は,詩原文・原題については旧字体を使用し,それ以外の部分は通行の字体を使用する.ただし一部,旧版を参考に旧字体で統一したものがある.

一,本凡例の後の地図三点,ならびに巻末の「解説」は,本版で新たに加えたものである.

一,刊行にあたり,大西寛氏,内田文夫氏,木津祐子氏,二宮美那子氏のご協力をいただきました.ここに記して感謝いたします.

編集部 

 


Copyright 2014 Iwanami Shoten, Publishers. All rights reserved. 岩波書店